概要:短期間のうちに家計が自国通貨を売ることで、国債を含めた自国通貨建て資産価格が一斉に暴落する動きは「キャピタルフライト(資本逃避)」と呼ばれる。実は、1月の新NISA導入は(穏当な規模感ながら)そのような展開の端緒になる可能性を秘めていると専門家は見る。
2024年1月から始まった新たな少額投資非課税制度(NISA)。その影響は日本経済にとって必ずしも好ましいものばかりではなさそうだ。
筆者はかねてから「家計の円売り」こそ円相場ひいては日本経済にとって最大の潜在リスクだと警鐘を鳴らしてきた。
例えば、2023年6月の寄稿『日本の家計は「弱い円」を捨て「強い外貨」に乗り換えるのか。本当の円安リスクはその先に…』では、以下のように論じた。
「『弱い円』の状況が続く中で、日本人が今後も円建て資産を柱に金融資産の運用を続けていくと考えるべき根拠はどこにもない。金融資産を『強い外貨』で持とうと考える人が増えていくのは、至って自然な流れではないだろうか」
こうしたリスクの存在に、この年明けから本格的に注目が集まり始めた。
新しい少額投資非課税制度(新NISA)が始まり、その影響で三菱UFJアセットマネジメントが運用する海外株式中心の投資信託商品に1日で1000億円を超える資金が流入したとの報道(日本経済新聞、1月10日付)が出て、それが円相場の軟調地合い(円安基調)とリンクしているとの見方を報じたメディアもいくつかある。
実際のところ、年明け以降で米金利が上昇に向かう場面もあったので、円相場の軟調が日米金利差の拡大を受けたものなのか、それとも海外株式への資金流出(つまり円売り)によるものなのかは判然としない。
それでも、数字を積み上げると、後者を当て込んだ相場の動きである可能性は否定できない。
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極めて短期間のうちに家計部門が自国通貨を売ることで、国債を含めた自国通貨建て資産価格が一斉に暴落する動きは、専門用語で「キャピタルフライト(資本逃避)」と呼ばれるが、そこまでの急性的な症状はまだ出ていない。
だが、「マイルド(穏当)な」キャピタルフライトという表現が可能なら、今後そうした状況が訪れる可能性はあると筆者は考える。
規模感をざっくり計算すると…
それにしても、家計部門の自国通貨売り、日本で言うところの「家計の円売り」はいったいどの程度の「波」になり得るのだろうか。
2023年末、日本経済新聞(12月23日付)が『新NISA積み立て予約、月2000億円規模に』と題し、旧NISA口座数で6割強のシェアを握るネット証券大手5社について、「毎月定額で投資信託を購入する積み立て設定の事前予約額が少なくとも2000億円規模にのぼる」状況を報じ、関係者の間で大きな話題になった。
記事中ではより詳細な金額として、12月20日時点で「月間2300億円」という予約額が紹介され、さらには同日までに新NISA積み立て設定で購入予約された投資信託上位3商品とそれぞれの予約額が明らかにされている。
3商品はいずれも米国株を中心とする海外株式に投資する商品で、月間予約額は合計1499億円。日経記事は、日本株に投資する商品が最上位でも20位にとどまるとしているので、購入予約された2300億円はほぼ全額、外貨建て(とりわけドル建て)資産に向かったと考えていいだろう。
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日経記事に登場する数字をひと通り踏まえると、想定される「家計の円売り」の規模感もざっくり掴めてくる。
予約額が月間2300億円ということは、(12月20日までの数字ながら)年換算で2兆7600億円。ネット証券大手5社のシェアを6割とすれば、証券会社全体では4兆6000億円の外貨建て資産への流出、すなわち円売りが起きることになる。
ただし、日経記事が紹介したのは、新NISAの中でも年間120万円を上限とする積み立て投資枠の話で、それと併用可能な年間240万円上限の「成長投資枠」も存在するので、そちらも計算に含める必要がある。
現時点では参考になるデータがないので、仮に積み立て投資枠と同規模だとすれば4兆6000億円、その半分にとどまっても2兆3000億円が上積みされる。
成長投資枠は年間上限が積み立て投資枠の2倍に設定されており、それゆえ単純に規模感も2倍になると考えるなら9兆2000億円が加わると試算できるが、さすがにそうはならないだろう。
当然のことながら、非課税枠が倍に設定されたからと言って、それに対応して家計部門の投資余力が増えるわけではない。
現実的には、積み立て投資枠と成長投資枠をフル(年間360万円、月間30万円)で使う投資家は稀だろうし、もっと言えば年間120万円の積み立て投資枠を使い切るケースも多数派にはならないはずだ。
そのことは旧NISAの利用状況から説明がつく。
金融庁発表の「NISA口座の利用状況調査」によれば、2023年9月末時点の旧NISA(一般・つみたて)口座数は2034万7312口座、買付額は34兆281億4597万円。単純計算で1口座当たり167万円となる。
2014年1月に始まった旧NISA(限度額は年間120万円)でこの金額なのだから、年間360万円はおろか、その半分を使うハードルですら高く思える。
もちろん、こうした大まかな試算は推測の域を出ない。
ここでは筆者の考える一つの目安として、成長投資枠は積み立て投資枠の半分程度を下限、同等程度を上限と仮定し、2兆3000億円~4兆6000億円の利用があると前提してみる。
そうすると、(日経記事を根拠に想定される)積み立て投資枠の4兆6000億円と合わせて、新NISAを利用した海外株投資による「家計の円売り」はおよそ7~9兆円と計算できる。
推測に推測を重ねた数字なので、結果についてもある程度の幅を持って理解する必要があるものの、「資産運用立国」を謳う岸田政権の猛アピールや、新NISA関連の情報提供に余念のない各種メディアのスタンスを見ていると、この程度の数字は特段大胆な予想とは言えないように思う。
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資産運用ニーズは確実に増える
いずれにしても、従来以上に資産運用ニーズが増えることだけはほぼ間違いない。
前節で紹介した金融庁の関連調査によると、旧NISAの年代別口座数は30代(17.5%)、40代(18.9%)、50代(18.3%)がコアゾーンで、60代以降はシェアが低下する。
見方を変えれば、これから高齢者になる世代は、従来の高齢者世代とは異なり、運用意欲とリテラシーをあらかじめ備えていることになる。同時に、それより若い30~50代のコアゾーンも、円高を当たり前として生きてきた世代から(足元の状況がまさにそうであるように)円安の弊害を知る世代へと入れ替わっていく。
資産防衛の手段としての投資運用を検討する動機は過去以上に生じており、今後ニーズが萎(しぼ)む展開はほとんど想像できない。
そのように従来以上に資産運用ニーズが増えるのは間違いないとして、ではその「従来」は外貨建て資産にどの程度資金が向けられていたのか。それが分からないと将来像も見えてこない。
その点については、投資家部門別の対外証券投資動向から大まかなイメージを掴むことができる。具体的には、投資信託委託会社等(以下、投信)経由で対外証券投資がどれほど出ていたかが参考になる。
2014〜2023年の10年平均で年間3兆6000億円程度、パンデミック前に限定して2014〜2019年の6年平均でも年間3.4兆円程度増えた。2023年は年間4兆5400億円程度の増加を記録した。それが新NISAのスタートを受けてどこまで膨らむのか。
新NISAに伴う円売りはおよそ7~9兆円という筆者の(前節での)試算を前提とすれば、2023年の1.5~2倍程度の増加が見込まれることになる
すぐにそれほどの規模に達するのは難しいかもしれない。しかし、非課税枠拡大による新規資金流入や今後掘り起こされる潜在的な投資家層も踏まえれば、さほど非現実的な想定ではないように思える。
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