概要:史上最高値を連日更新する株高ながら、実体経済とのかい離を懸念する声が専門家含めて少なからず聞かれる日本。素直に「バブル崩壊以来」を喜ぶ声がかき消されそうなほど鳴り響くこの「警鐘」には何か根拠があるのでしょうか。
史上最高値を連日更新する株高ながら、実体経済とのかい離を懸念する声が専門家含めて少なからず聞かれるのは事実だ。
筆者は株式の専門家ではないが、金融業界に身を置く者として自らの持ち合わせている情報と知識、経験を総合して判断する限りにおいて、日本が目下直面している株高は「インフレの賜物」だと考えている。
株式や不動産の価格は上がり、自国通貨が値下がりする傍ら、外国産の高級車や高級時計のような輸入品の価格が押し上げられている。こうした日本の現状の全てを説明できるフレーズは、ひとまずインフレ以外に見当たらない。
日銀からは、物価目標の達成について「実現確度少しずつ高まっている」(植田総裁)や「ようやく見通せる状況になってきた」(高田審議委員)といった肯定的な情報発信が相次ぎ、ついには政府・与党が「デフレ脱却」表明を検討に入ったとの報道まで出てきた。
従来、慢性的な円高や伸び悩む株価、低位安定する金利や停滞する名目賃金などはデフレの象徴とされ忌み嫌われてきた。したがって、デフレ脱却の暁にはそれらが逆転するはずだと考えるのも無理はない。
足元を見ると、円安は長期化の様相を呈し、株価は史上最高値を更新する急伸ぶり、円金利も(日銀が超低金利政策を維持する中でも)わずかながら浮揚が見られ、名目賃金も続伸しており、確かに逆転が起きているように見える。
下の【図表1】は、日経平均株価が取引時間中に初めて4万円台に乗せた3月4日の直近1年間にフォーカスし、世界の主要株価指数の上昇率トップ10と、その指数の取引される市場(つまりその国の)通貨の対ドル変化率を並べたものだ。
【図表1】世界の主要株価指数の上昇率ランキング(1〜10位)。比較の対象期間は2023年3月3日〜2024年3月4日の1年間。
ランキング上位の対ドル変化率は非常に大きく、10カ国平均がおよそマイナス26%、上位5カ国の平均だとマイナス40%にもなる。
そして、すぐにお気づきになられたと思うが、ランキング上位10カ国の中で先進国の指標は日経平均株価だけだ。
また、ランキングには日本より対ドル変化率のマイナス(下落)幅の大きい国も小さい国も含まれているが、プラス(上昇)の国は一つもない。
一般的に、インフレ体質の国では自国通貨の価値が下落しやすく、そのため自国通貨建てで見た株価指数の水準は押し上げられやすくなる。ただし、そうした現象は途上国に多く見られるもので、日本のような先進国ではあまりお目にかからない。
筆者が考えるところ、そうした稀(まれ)な現象が今日の日本で起きている事実は、日本経済を見る世界の目が変わってきている、もっと言えば日本を先進国という括(くく)りで見ることに疑問符が付けられていることを示唆しているのではないだろうか。
より具体的に言えば、経済成長を遂げて途上国から先進国に至るその途上にある国は「中進国」と呼ばれたりするが、日本は先進国よりその中進国としての位置付けのほうが似つかわしい、そんなふうに見られているのではないか。
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名目と実質の「GDP格差」が示す現実
株価がバブル期の水準を回復してなお史上最高値の更新を繰り返している状況にもかかわらず、それを素直に喜ぶ声がかき消され、株高とかい離した実体経済の弱さを指摘する声の方が大きく響きわたる。
なぜそうなるのか。
日本の家計はそもそも株式(および出資金)の保有比率が低いので、株高の恩恵を直接的に享受できていないとの説明をよく聞く。
それ以前に、企業収益の増加などインフレの恩恵が家計に十分分配されていない(から実体経済が改善されない)という根本的な問題もある。
ただ、記事冒頭で指摘したように足元の株高がインフレの賜物だとすると、まず何より目を向けなくてはならないのは、GDP(国内総生産)の「名実格差」の問題だ。
日本では、成長率の「名実逆転」すなわち名目GDP成長率が実質GDP成長率を下回る状態が慢性化し、デフレ経済の象徴とされてきた。
しかし、昨今の状態が続いて(主要先進国と同じように)インフレ体質の国に転換するとしたら、日本でも名目GDP成長率が実質GDP成長率を上回る状態が定着するはずだ。
2024年度の日本経済は、第二次安倍政権が掲げていた「GDP600兆円」目標の達成が視野に入ると言われている(安倍元首相が2020年度までの600兆円達成を目標に掲げたのは2015年のことだ)。
この「600兆円」という目標は名目ベースの数字であり、実質ベースの目標はこれまで具体的に示されてこなかったことに注意せねばならない。
インフレ下では物価上昇により名目GDPがかさ増しされる。インフレの影響を除いた部分、つまり実質GDPが増えなければ、名目GDPだけ目標の600兆円を達成してもそれは物価変動の結果であって、景気の実感にはつながらない。
その点、2022年から2023年にかけて、名目GDPは約560兆円から約591兆円へと約31兆円増えた。しかし、同期間の実質GDPは約548兆円から約559兆円へと約11兆円しか増えていない。実質GDP増加分の3分の2に当たる20兆円はインフレによる上乗せだ。
成長率で見ると、2023年の名目GDPは前年比5.7%増と大きく伸びたが、実質GDPは同1.9%増にとどまっている。
より身近な例で言えば、2023年の家計消費(家計最終消費支出)は名目ベースで約11.4兆円増えたものの、インフレによる上乗せ分が約9.4兆円で、実質ベースだと約2兆円しか増えていない。
成長率で見ると、名目の家計消費が3.8%増、実質は0.7%増で、家計による消費行動の大半はインフレ(物価上昇)分に食われていることが分かる【図表2】。
インフレ局面では企業の売上高および利益が増えるので、株価も押し上げられやすくなる。
ただし、日本の場合は本来なら「無い袖は振れない」ところを、家計が「無い袖を振って」苦痛に耐えて消費を続けることで、企業業績の拡大や株価上昇が生まれている状況がある。
株高にもかかわらず、内需の勢いに乏しいのは当然のことだ。
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輸出企業の家計への還元「不十分」
図表に金額は記載していないが、名目ベースで約8.1兆円増、実質ベースでは約3.3兆円増、インフレによる上乗せ分は約4.8兆円。増加分の半分以上がインフレの影響だが、家計消費や設備投資よりは実質の伸びが大きい。
これが何を意味するかと言うと、輸出企業が海外においてインフレの影響を価格転嫁できているということだ。ここでは詳細は省くが、関連統計からもそれを確認できる【図表4】。
円安は理論上、契約通貨建て価格の引き下げにより輸出数量が増加する形で輸出企業に好影響をもたらす。
分かりやすい数字に置き換えると、実勢相場が1ドル=100円の時に1ドルでボールペンを輸出していたとしよう。
そこから、1ドル=120円まで円安が進んだとすると、0.83ドルで輸出しても円建てでは従来の100円の売上高を維持できる(0.83×120円≒100円)ようになる。
統計を見ると、日本の輸出企業が足元でやっていることはその逆で、(インフレの影響を転嫁するために)ボールペンの価格を1.2ドルないしは1.5ドルに引き上げて輸出している。当然、円建ての売上高も大きくなる(1.2ドル×120円≒144円ないしは1.5ドル×120円≒180円)。
上では1ドル=120円までとしたが、実際には1ドル=140円以上、時期によって150円前後まで円安が進んでいるので、輸出企業の業績改善幅はさらに大きいと思われる。
さて、輸出企業はそうやって価格転嫁を進めて実質ベースでの成長も相応に確保できているのだとすれば、気になるのはその果実を日本の家計に還元(≒名目賃金)できているのかどうかだ。
しかし結論は明らかで、その還元が十分ではないからこそ、実質ベースで見た家計消費がほとんど伸びていない実態があるのだろう。日銀の言葉を借りれば、「賃金と物価の好循環」が実現しているとまでは言えない。
株高の背景にあるのが「インフレに押し負ける実体経済」の情勢であり、それが冒頭指摘したような「先進国から中進国へ」のステップダウンを織り込む相場だとすれば、足元の円安と株高にはまだ私たちの見通せていない「この先」があるようにも思える。